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by うるとら

天日槍・天之日矛

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 もっとも天日槍の伝承は多様であって、その内容はけっして単純ではない。その詳細はすでに早く指摘したが(「古事記の伝来伝承」、『古事記』所収、社会思想社、一九七七年)、まず第一にその渡来の時期を『古事記』が応神天皇の代とするのに対して、『日本書紀』はそれをさかのぼる垂人天皇の代のできごととするちがいがある。
 さらに天日槍が倭国に渡ってくる事情について、『古事記』が描く阿加流比売を追慕して渡来するというエピソードは『日本書紀』になく、これに類似する伝承は、『日本書紀』垂人天皇二年是歳の条の「一云(イチニイワク)」に述べる、意富加羅国(大伽耶)の「王子」とする都怒我阿羅斯等が「北ッ海(日本海)」をめぐって敦賀に渡来する説話にある。
  赤玉や神石(白石)が乙女に変化する伝えも『古事記』の天之日矛伝承と『日本書紀』の都怒我阿羅斯等伝承とに共通している。日光に感精して懐妊する赤玉神女伝承は、『古事記』にはっきり記されているが、日光感精型あるいは赤玉神女型の神話は、古代朝鮮にかんする貴重な古典である『三国史記』などにみえるところであって、天之日矛(天日槍)と神女をめぐる伝承の直接のふるさとが朝鮮にあって、それが天日槍に象徴される渡来集団のなかではぐくまれていったことはほぼまちがいない。


天日槍の渡来コースには鉄の文化とのかかわりを物語る遺跡がかなりあって、天日槍集団の背景には鉄の文化と土木開発の技術があったと考えられる。

古事記が「天之日矛」、『日本書紀』や『風土記』・『新撰姓氏録』などが「天日槍」と書くのに対して、『古語拾遺』が「新羅の王子 海檜槍」と記しているのは興味深い。もともと「海語連」と表記していたのが、後に「天語連」と表記するようになってたごとく、海上ルートで新羅から渡来した「天日槍」の「天」も本来は、「海」であったかもしれない。

『天日槍と渡来人の足跡』海鳥社 〔 序――探訪・天日槍伝承(上田正昭)の頁より 〕
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 天之日矛には別名が多く、気比神宮の主祭神である「イササワケ命(気比大神)」のほか、近江の鏡神社の主祭神「天目一箇命」、御上神社の主祭神「天御影命」とも同一人物ともされているそうで、籠神社の伝承によると、この天御影命は天火明の別名であるともいいます。現在の籠神社の主祭神は、天火明命とされているそうですが、天火明には別名が多く、正式には天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命というのだそうです。 現在籠神社では、この御神名を分解して、天照が天照大神、国照彦は猿田彦、櫛甕玉は大物主=大国主命(=大己貴命、八千矛神)、饒速日命がそれぞれ別な神々として独立して祀っておりますが、本来はもともと「天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命」という一つの名が表すように、同一神であったようであります。
 また、籠神社の極秘伝として天火明命の別名には加茂別雷神や丹波道主などが伝えられているそうですが、そのなかでも重要とされたのが「彦火火出見尊(ホホデミ命)」で、ホホデミ命といえば、記紀には天照大神の孫、火遠理命として登場し海幸山幸彦神話として知られております。実は神武天皇の名前の中に「神日本磐余彦火火出見尊(記紀)」と"ホホデミ"という名前を持っていたのだ!!という驚きの報告がされておりました。(「以上月間ムー」2004年1月号 No.278参考)








籠神社の先代宮司が書いた「原初の最高神と大和朝廷の原始」によれば、天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命は由緒が違う習合した結果であって、一つの神を著してはいないとのことです。時の権力者に迎合していった結果ではないでしょうか。 火明は、天照大神の孫であるため天照御魂命 と呼ばれていたようです。 天香語山の親が天照国照尊であり、また別 伝で天香語山の親神が彦火明命であると言われていたから、天香語山の親と天照国照彦火明と言う ようになったようです。ニギハヤヒは時代が違うこともあり、混同してはならない」と言っています。物部氏と相当近い関係にあったため、要請で習合したのでは ないでしょうか。

よささま
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by ultramal | 2006-04-06 12:35 | ノート