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by うるとら

モノノフとしてのムゲツ氏



 古く、武人のことをモノノフといった。モノは武具や刑罰のことをさし、物部のモノと同じである。物部は古代において軍事や刑罰を担当した部民であった。
 美濃には西濃を中心に数多くの物部郷(村)や物部神社があったことが知られており、古代美濃の戸籍にも物部の名が残されている。
 



 物部をはじめとして、製鉄部伊福部、軍事部民健部などが濃密に分布していたと思われる古代の美濃は、律令制がしかれる以前、朝廷への軍兵供給地として重要な地域であったことは確実と思われる。この美濃の中部から東北部にかけ勢力を有していたムゲツ氏が、そのことと全く無関係であったとは思えない。
 ここに、注目すべき『日本書紀』の伝承がある。
 吉備出身のトネリが急に国元に帰り、吉備の豪族は彼を大和に帰さなかった。ために天皇は、身毛君丈夫(むげつきみますらお)を吉備に派遣し、彼を連れ戻した。このトネリの証言により、吉備豪族の反朝廷の意思がはっきりとし、天皇は物部の兵三十人を派遣してこの豪族を滅ぼした(雄略天皇七年)。
 この伝承を信ずるなら、既に五世紀の昔から、大和朝廷の指令下、地方豪族の反乱鎮圧にあたっていたムゲツ氏出身のモノノフの姿を想像することができるのである。
 また、これより十一代前の景行天皇代の『日本書紀』には、ヤマトタケルがクマソ征討の折、美濃の"善射者(よくいるひと)"弟彦公(おとひこのきみ)"を求め、弟彦公はこれに応じて征討軍に加わった、との伝承が記されている。弟彦公をムゲツ氏の祖先とする説もあり、これらの伝承はムゲツ氏が軍平供給地美濃のモノノフの一翼をになう豪族であったことを物語っている。
 そして、身毛君広は壬申の乱において重大な役割を任じたモノノフの一人であった。身毛君広にいたる、モノノフの系譜をもつムゲツ氏。同氏が拠点とした古代のムギは、現在の武儀郡とどうつながっているのだろうか。



武儀郡とムゲツ氏

 "飛山濃水"。これほど端的に岐阜県を形容した言葉は他にない。この飛山と濃水それぞれの周辺部に位置するのが中濃地方である。この地は、広大な濃尾の野が北に尽きて山地に突きあたり飛山へと続く山並みが始まる所であり、逆にいえば、山々に深い谷を刻んでできた河川が野へと解き放たれる予感にざわめきたち、そして一気に濃尾の野に踊り出るところに位置している。
 古来この地にはムギとカモ(加茂。古くは加毛、賀茂とも表記)の二群が置かれてきた。現在の武儀郡は、美濃市を挟んで東に武儀町上之保村。西に武芸川町、洞戸村、板取村の二町三ヵ村にその郡域をとどめるだけだが、昭和二十年代までは現在の関、美濃地方の多くが武儀郡下にあった。
 ムギ郡の誕生は、今から役千三百年前にさかのぼる。律令制によう「国・郡・里(のちの郷)」制の発足とともに、ムギ郡も美濃国内の一部としてこの地に置かれた。発足当時の郡域を示す資料がないため、その領域の詳細は不明だが、八五五年(平安時代)にムギ郡の北半を郡上郡として分離するとの記録があり、当初は現在の郡上郡を含む広い地域がムギ郡下にあったことが想像される。
 ところで、平安時代に作られた日本最古の辞書『和名抄』には、「武芸九郷(ムギ郡下にあった九ヵ村)の名が記されている。九郷の名は以下のとおりである。
 御佩(みたらし)、跡部(あとべ)、生櫛(いくし)、有知(うち)、白金(しろかね)、大山(おおやま)、揖深(いぶか)、稲朽(いなくち)、菅田(すがた)。
 『美濃市史』は以下九郷の領域を推定しているが、これを総合すれば、多少のズレはあったとしても、昭和二十年代までの武儀郡と郡上郡の分離後の古代のムギ郡域は、ほぼ重なり合うといってよいであろう。

 壬申の乱で活躍した身毛君広という人物の名は、三つの要素からなっている。『身毛」は一族をさす氏(うじ)名であり、その人、固有の名であるとすれば、「君」とは何か。
 律令制が敷かれる以前、大和朝廷からと服属、連合関係を結んでいた豪族が各地にいた。彼らは朝廷より臣(おみ)、連(むらじ)などという身分を表す称号をもらっていた。これは姓(かばね)といい「君」もその一種であった。
 朝廷は、姓を有する地方の豪族のなかから最も有力な者を選び、その地方の地方官に任じていた。これを国造(くにみやつこ)といった。
 『岐阜市史』は、美濃地方に確実に存在していた国造として、本巣、三野後(みののみちのしり)、そして牟義都(むげつ)の三者を挙げている。
 また『美濃市史』は、関市千疋や岐阜市太郎丸にある四、五世紀のものと推定される古墳の存在から、ムゲツ国造の支配領域を「これらの古墳がある旧山県軍旧武儀郡を中心としたあたり」に求めている。
 ほぼ確実と思われるムゲツ国造の存在は、ムゲツ氏が律令制以前の古墳時代から、古代美濃の最有力の豪族であったことを示している。
 しかし、律令制の開始とともに、地方官としての国造はその役割を終えることになる。新しい国の領域が画定され、都から派遣されてきた国司がその国を治める時代となった。こうした時代の変動のなかで、旧国造たちは、国司に仕える地方ボス、郡司となったり、朝廷の特殊な職掌に奉仕する氏族になることにより、その勢力を後世に温存させていたったと思われる。
 ムゲツ国造の場合はどうであったか。
 彼もまた、美濃国の下に新たに設置されたムギ郡の郡司になることにより、その勢力を新時代へと確実に継承していったのである。トネリ身毛君広の存在を初めとして、ムギ郡司とムゲツ氏は同一と見られ、実証する史料が他にも残されている。





水と犬と鉄 尾関章著 古代の中濃とムゲツ氏 中日新聞本社
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by ultramal | 2006-05-06 20:40 | 水 犬 鉄