◎Ultraはウシトラのモジリ◎       


by うるとら

●ムゲツ氏と水と犬

 

関市池尻に、ムゲツ氏の氏寺であっとされる弥勒寺(みろくじ)の跡が残されている。今は、礎石だけだが、かつては新緑の中に壮麗な朱色の七堂伽藍が立ち並び、長良川の清流がその足元を洗っていたに違いない。



 古代ムギ郡の郡司となったムゲツ氏は、その地方栄華の一端を弥勒寺の堂宇に刻み残したのである。
 古代の中濃を拠点とした豪族ムゲツ氏とは一体いかなるパーソナリティーを持つ氏寺であったのか。限られた史料からそれを想定することは至難だが、できうるかぎりその姿を追ってみたい。
 モノノフ(武人)としてのムゲツ氏については既にふれた。雄略天皇に吉備の豪族を処罰した身毛君マスラオは、当時のいわば「必殺仕事人」だったともいえる。テレビドラマの中村主水(もんど)のようなヤミの処刑人ではないのだが、大海人皇子のトネリ身毛君広もまたマスラオに近い人物であったのかもしれない。ところでこれは偶然の一致にすぎないのだが、平安時代の「主水」がムゲツ氏であったという史実が残されている。この場合は暗殺集団の頭目の名ではなく、文字どおり水を扱う役職の名であるのだが。
 平安時代に編纂された令(法律)の式(その施行細則)のなかの、『主水司(もといりのつかさ)式』の条文に次のような記事がみえる。
 「宮中または京内の井戸一か所を選び、牟義都首(むげつおびと)がその井戸を清め、立春の夜明けにその井戸より若水をくみ、主水司がこれを天皇・皇族に献上する」。
 主水司とは、水を扱う宮内省所属の役所のことである。ちなみに、後世、人名として用いられた「主水」は、この職名から派生したものである。
 ともあれ、宮中の年一度の「主水の祭事」にムゲツを名乗る人物がその主役を勤めていたことは注目に値する。牟義都首がムゲツ氏の出であったことに疑念をはさむ学者はいない。だとすれば、あまたいた諸氏族のなかで、「主水の祭事」の立役者がなぜムゲツ氏でなければならなかったのか。



 「主水の祭事」の立役者であった牟義都首の起源を「養老の水」の故事にもとめられたのは、律令制の美濃の古代史研究で著名な野村忠夫氏である。
 奈良に都がうつされて七年目の秋、多度(たど。現養老)の山ろくは皇族・貴族の行列に彩られていた。多度山にわく〝若返りの泉〝の話を耳にされた元正天皇がこの地に来られたのである。四十路に近い女帝にとって、この冷泉の効能は心をときめかすものがあったにちがいない。女帝は同年の年号を「養老」と改元され、朝廷はこの水を立春の晩にくみ、都に献じることを命じた。彼女はこの冷泉にとりつかれたように、翌年二月もこの地に赴いている。
 ところで、ここに小さな不思議がある。
 それは、この行列に加わり、奉仕した人々が地元やその周辺の西濃の人々ではなく、養老より遠く隔てた方県郡(かたがた。現在岐阜市北部)と務義郡(むぎ)の人々であったことである。そこには何か特別の理由があったはずである。
 野村氏はこれについて、務義郡に西接する方県郡にもムゲツ氏が分布していたこと、また、ムゲツ氏の本拠地域に、律令制以前の領内の美泉をくむことに奉仕した水取部(もといりべ)の存在がみえることから、この行幸に加わった人々を、両部に生活していたムゲツ氏の一族ではなかったかと推測されている。また野村氏は、この水を都に献上せよと命令に奉仕したのもムゲツ氏の一族の者であったと推定され、これが「立春の暁に若水をくむ」という「主水の祭事」における牟義都首の役割につながり、固定されていったとされるのである(『古代の美濃』による)。
 養老の冷泉行事で特別の役割に任じ、それを宮中恒例の儀式「主水の祭事」に受け継いだムゲツ氏。このことは、同氏が律令制以前の昔より、「水」と特殊に深くかかわっていた氏族であったことを暗示している。
 「水」の次は「犬」である。犬とムゲツ氏の関係を暗示する史料は、意外な地の意外な文献のなかにのこされていた。



 昨年末、私は高野明神に会いたいとの一心から、初めて高野山に登山した。暮れにしては珍しく高野山は雨であった。 
 真言密教を伝えた空海(弘法大師)が眠る奥の院には、彼を護持するように、高野明神がまつられていた。同宗の根本道場である伽藍の奥所には、同明神と丹生明神をまつる社があった。私は込み上げる感動をこらえながら、雨の伽藍の中に立ち尽くしていた。
 空海が伽藍建立の地を求て紀伊の山中に分けいったと時、弓矢を持ち、黒白二匹の犬を連れた猟師と出会った。犬の導きにより、この地の地主神丹生明神と会うことができ、高野の地を教えられたと縁起伝承は伝えている。この猟師は、後に真言密教の護法神=高野明神としてこの地にまつられた。別名を狩場明神ともいう。空海と出会った時は「南山の犬飼」と称したいう。
 そして、この高野明神こそは古代中濃の豪族ムゲツ氏の出であったのである。
 空海による開山前のはるか昔より、この地に原住していた丹生氏の系譜は、次のような説話を伝えている。丹生都比売(にうつひめ=丹生明神)神社に黒白二匹の犬が献上され、応神天皇(五世紀初頭?)は、その犬飼として、美濃の牟義津の子犬黒比を選び、これにつけさせた。犬黒比は後に石神と化し、犬飼の神=狩場明神とよばれた。
 天皇が、あまたいた諸氏族のなかから、特にムゲツの子を犬飼に選ばれたのはなぜなのか。その答えは別として、この説話はムゲツ氏が古くから犬とかかわる朝廷の特殊な職掌に奉じていた氏族であったことを暗示している。
 ところで、高野明神と並びまつられている丹生明神は水神としての信仰を今に伝えている。そしてまた丹生とは水銀の古語であり、丹生明神は紀伊山中で水銀や諸銀発掘を行っていた丹生族がまつる神でもあった。紀伊という美濃から遠く離れた土地に残された犬と水と金属のつながり。そして、犬を介してそれらにつながるムゲツ氏の姿・・・・・・。私の度量はは、これを単なる偶然と水に流す程には広くはない。
 私はこの二年間、水と犬と鉄が日本や東アジアの民俗伝承や神話のなかで、深く相互に結びついていたことを諸文献のなかに確認する旅を続けてきた。その旅を記せば膨大となるため、また別の機会に譲りたい。ここでは「水と犬」にかかわったムゲツ氏の個性を確認して先に進みたい。


水と犬と鉄 尾関章著 古代の中濃とムゲツ氏 中日新聞本社
[PR]
by ultramal | 2006-06-12 18:59 | 水 犬 鉄