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by うるとら

瓢箪ダヴィンチコード説

『一つ目小僧と瓢箪 性と犠牲のフォークロア』 飯島吉晴著 より



鉄は戦前までは、「鐵」と表記 → 「金の王なる哉」を意味する



性の神としてただちに思い浮かぶもの 斉藤晶三

いしがみ しゃくじん しゃくじ しゃぐじ おしゃもじさま 妻の神 さえの神 くなどの神 道祖神 道六神 ちまたの神 ふなどの神  石尊 ラセキ(裸石) 金精 金勢 金山彦神社 金山神社 石根 男石 屁の子 地蔵 うば神 阿麻羅さま 男法王宮 傘地蔵 猿田彦神社 弓削明神 道鏡さま 船玉大明神 塩釜明神 塩土翁 縁結び神 精大明神 庚申 鬼神さま 興玉の神 和合神 白髯明神 太田の命 青面金剛 鉄開明神 気神(いきのかみ) 気長明神 大開観音 女石さま おひじりさま 陰茎明神 おっひとさま 大物神社 お客権現 やまのこさま しょうぜんさま お駒さま 祇園明神 めをと神社 聖天宮 天地神 (斉藤晶三 「性的祭神異名抄」 『郷土趣味』十二号、一九一九年 三一頁)


斉藤晶三 『性的神の三千年』(三徳社、一九二一年)

道祖神、岐神、塞の神、猿田彦、石神、陰陽石、須佐之男命、諸神、雑神、仏名神、外神の十一に分類して多くの神を分類している


性の神

聖と穢、内と外、男と女、豊穣と不毛、祓う者と祓われる者、善心と悪心
異なる二つの原理がしばしば同居

性の神は、大宇宙(自然)の過剰な生命力と直接結びついている。


トリックスター猿田彦

二月と十月の初申の日を「猿の口開け」、「猿の口留め」と言い、猿は季節交替と深いつながりをもつ。

猿は異界とこの世を媒介するもの

猿、馬(駒)、犬(狗)→境界やこの世を繋ぐ媒介者


本来境界石(男根形)であるヘルムと二つ相反する原理の間を自由に動き回るヘルメス神とが結びつけられたことは興味深い。ヘルメスは、交易や市、盗人や旅人の守護人として、対立するものを結びつけるトリックスターである。

道祖神も同じ。


一般に農民の場合は、大地に播種し耕して作物を育て収穫するという生産プロセスをとるため、男女の性行為やそれを模倣した行為によって作物の豊穣をもたらそうとすることが多い。これは、男女両原理の統合という大宇宙(自然)の原理を、自分たちの住む小宇宙の作物に及ぼし豊穣をまねくために、コントロールした形で男女混合を行い、自然の力を導入しようとしたものと考えられる。一方、山や海といった一種の異界を主たる仕事の場とし、そこから狩や漁という形で獲物(獣や魚)を得る狩猟者や漁民の場合は、農民とは異なった豊穣祈願の儀礼を行う可能性が高いといえる。山民や漁民は、山の神や海の神という女神に対して、男根やその形のものを呈示したり奉納することで、異界の生命力=豊穣を招こうとするのである。





鹿

鹿島や男鹿

地の果てや先端 境界領域をあらわす

瓢鮎図 瓢箪鯰 鯰絵

瓢箪で鯰(水神)をおさえる構図







鯰はトリックスター

地震をひき起こすもの
世界の更新者、富や幸運をもたらすもの

蛇(竜蛇)との同一化、雷や小童(英雄)

鯰は石から生まれる

鯰自体が石→杓子

にもかかわらず、地震の守護人

『鰻絵――民族創造力の世界』小松和彦中沢新一他訳、セリカ書房、一九七九年、三四〇頁)


鰻だけでなく瓢箪も石と同様に両義性や、境界性を有している。

鰻も瓢箪も、水界の存在として極めて近い関係にある

瓢箪 ウツボ性


夕顔、瓜、朝顔などの蔓性植物がよく天まで伸びていくと語られている
ジャックと豆の木?
瓢箪=天と地をつなぐもの

瓜―水

「瓠葛の天の梯建」(「続日本後紀」)
瓠の葛は天へのぼる梯子とみられたり、瓠は天空との結びつきは深かった
(「ひさご」『谷川健一著作集』四巻、三一書房、一九八一年、二六八頁)。瓢箪
中国、朝鮮などの神話に多い


「盤古」鶏卵の中で成長してその殻を破り出たが、上の殻は天空になり下の殻は大地になった

「盤瓠」犬祖神話
八犬伝

伏羲と女媧 洪水神話 
瓢箪にもぐりこんで助かる


瓢箪は人類を生み出す卵

「植物的な卵」 「容器」

瓢箪に収めるものは、生み出す力に永遠性をもたらすものこそふさわしい

不老不死の霊薬たる金丹


瓢箪は中国では、伝統的に薬屋の看板

日本 養老の滝「生命の水」である酒の容器

瓢箪は永遠の生命を象徴するもの

壺中天(壺=瓠)

ひょうたんは、冥界に属するか、冥界とこの世の境界にあるもの
いったん呑み込まれた人や動物は死の世界に入るのであるが、
そこから出てくるときは、再生したことになる
井本英一 『輪廻の話』 法政大学出版局、一九八九年、五五頁



瓢箪は天まで伸びてゆくものとされ、またその特異なかたちや性質から龍蛇や水神とも結びつけられた。さらに瓢箪は不老不死や永遠性を象徴したり、対立物の合一した完全無欠の宇宙を表象するものとされてきた。

瓢箪はウツロ性を一つの特徴としているが、これは一面ではからっぽで実体のないものということである。ふだんはまたっく意識することはないが、空気や風は単に空虚なものでなく、世界に遍満しているのである。虚空蔵菩薩が「大満」とか「福満」を前につけて呼ばれていることにある意味で類似している。瓢箪は、目にははっきりと見えないが、全世界に満ちているものを象徴しているのである。あるいはそれはすべてのものを生み出す宇宙そのものなのである。
 このような途方もないものをさりげない形で瓢箪は表象している。瓢箪をめぐるフォークロアには、いわば、これまで人々が世界や宇宙をめぐって長い間思索し感じ確かめてきたことがすべて込められているのである。これが瓢箪の魅力の核心をなしているのであろう。





『一つ目小僧と瓢箪 性と犠牲のフォークロア』 飯島吉晴著 より
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by ultramal | 2006-06-16 21:20 | 瓢箪/蔵王権現