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by うるとら

新羅

新羅が鶏林とも呼ばれた理由

 三国時代の新羅は鶏を神聖視して、国号まで「鶏林」だった時期があり、後世の日本では「鶏林」と書いて「しらぎ」と読み下ししていた。この「鶏林」時代の新羅はペルシャ系の王族によって支配され、卵生神話やペルシャの神々とは切り離せない。古代ペルシャはフランスと同様、鶏をトーテムとしていた。そして今日でも慶州に行けば、卵生神話で有名な「鶏林」を訪れることができる。




 新羅の始祖伝承に「鶏」や「卵生神話」など古代ペルシャ的なのものがあり、ペルシャ系の新羅王が西アジアの「麻立干」の称号を用いたのは、新羅は西アジア人が支配した国だったからである。先に述べたように、新羅古墳からローマ・グラスは、西アジアで製作されたもので、決して王族が単なる異国趣味で輸入したものでないことも、すでにお分かりのはずだ。
 新羅に限らず、古代日本も非常に国際的で正倉院にペルシャの文物があることは知られているが、これは飛鳥時代にペルシャ文化の大きな影響をうけたからである。ローマン・グラスは正倉院にもあるが、これが最も大量に出土するのは新羅と倭国には見られるのに、百済や高句麗からは出土していない。
 統一以前の新羅は朝鮮半島の東南に位置し、大まかに言えば今日の韓国の慶尚南道、慶尚北道に匹敵する。不思議なのは、半島南部と西アジアとが通行するには、高句麗や中国を通らなければならないはずだが、百済や高句麗の古墳から文物が発見されていないことである。
 飛行機のない時代に、高句麗や中国の頭越しに、西アジアの文物がどのようにユーラシア大陸の最果ての国・新羅にもたらされたのか。その謎の鍵は日本海とそこに沈没した大きな島にある。これらの島の名は『古事記』や『日本書紀』に記録されている。


西アジアが新羅と日本に及ぼした影響


 国名を鶏林とした新羅王・脱解(在位57~80年)もペルシャ系で、その脱解の城も西アジアに由来する半月城であった。脱解は多婆那国の生まれで、その国は倭国の東北一千里にあり、竜城国というともある。脱解は、列島を経由して半島に来た中央アジア人だったのである。つまり列島や沈没した日本海の島々は、新羅と中央アジアを結ぶ交通路であった。脱解の出身地・多婆那国(竜城国)は実在した中央アジアの国で水没したという伝説がある。
 さらに新羅の古墳からは純金の装身具出土し、これらはギリシャ・ローマ世界で流行したデザインと共通する特殊な技法が用いられている。
 しかしこれらの出土品だけで、新羅がローマ文化の国だったとは言えない。もし新羅が本当にローマ文化の継承者ならば、言語・文学・宗教・政治・立法・道路や建築などの土木といったすべてが、ローマ式になっているはずだ。つまり、新羅は異国文化の国だったわけではなく、国の支配層だけが西アジア人だったのである。
 新羅王の金氏はペルシャ系の王族である、月氏の系統と考えられる。月氏は人種的にはアーリア人であり、文化的にはペルシャ系の遊牧文化である。
 月氏は月支でもあり、3世紀の馬韓に月支と称した国があった。月氏族にも卵生神話があり、古代ペルシャが鶏をトーテムにしていたように、鶏が登場する。始祖が新羅に現れたのが3月と言うのも意味がある。3月21日はペルシャの元旦なのだ。ペルシャの元旦は、キリスト教徒のイースター(復活祭)に匹敵し、そのイースターもまた卵と関係する。
 今日の日本でも福井県や島根県、秋田県そして新潟県には、鶏肉を食べないという伝統が残る地域がある。福井県の遺跡の大半は半島の直系で、鶴賀原発の近くの白木では伝統的に鶏を神聖視しているという。これは、文化の特質が先祖の由来証明となる明らかな例であろう。白木とはもちろん新羅のことであり、本来、日本海を渡って来た人々の集落である。(もちろん、弥生文化の集落はすべて日本海を渡って来た人々の集落であるが。)


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 【著】中丸 薫
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by ultramal | 2006-07-20 21:03 | 遠敷