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◎Ultraはウシトラのモジリ◎       


by うるとら

五十瓊敷命

物部について書けて言われていたので・・・
メルマガのネタから~



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 (前略)

 ツヌガアラシトや天日槍は、前章の日光感精神話で、見たとおり、女のお腹に日光が射して、玉、或いは白石を生んでいましたが、岐阜の金華山にも、同類の伝承が残されていたことは、上に見た通りです。 「石を生む」話は、 高句麗の建国神話の中にも見られ伊奈婆の神の子の伝承を捕捉しているようです。


日光により懐妊した女が石のような固い卵を生みます。七歳にして、自ら弓矢をつくり百発百中、名前を「朱蒙」といいました。 「朱蒙」は、夫餘語で 「よく弓射る人」 という意味です。  しかし、その力を恐れた王子たちにより生地を追われ、逃れた地に新しい国に高句麗を建てます。 朱蒙は天下った武具を祭祀、 その力により王者の地位を保持しました。



 というように、朱蒙は、日光により懐妊した女が生んだ固い「石」の卵から生まれたといいます。 また、 "天下った武具を祭祀した"ことや、弓矢の達人であるところなどは、前章、日光感精神話で見てきたように、 剣や弓矢などが、時に「太陽神」の拠り代となっていた一連の神婚神話に、共通する所であると思われるのです。





  伊奈波神社には、現在、物部神社が合祀されています。物部氏といえば、軍事的な性格を帯びた氏族であることで一般的です。物部モノノフは武人の意を司ります。  実は、五十瓊敷命は、石上神宮の伝承で登場していました。 石上神宮は奈良の天理にある物部氏の神社であり、数々の武具が納められていると伝え聞いています。 五十瓊敷命は、武具の祭祀を司っておりました。


五十瓊敷命(イニシキ命)が茅渟の兎砥の川上宮で剣一千本を作り石上神社 に納めた。その後命ぜられて石上神社の神宝の管理者 となる。彼が老いた後、管理権は彼の妹の手を経て物部のトチネに委ねられる


また、高句麗の朱蒙は、「よく弓射む人」でありましたが、 日本書紀の景行記二七年には、美濃国に善射者(よくゆみいむひと)弟彦公のことが載せられていました。 これら、弓の達人や優れた武人を輩出したとのいわれのある美濃ですが、あるいは美濃は、関市の刀匠等の存在に見られるように、 朝廷の武器製造所(武儀ムギ郡がある)であった可能性は、多分にあったといえるでしょう。  五十瓊敷命の、五十はまた五十鈴の「イソ」で五十神イソ神となり「イソ神」は石神ともなるとの説があります。  未婚の女が日光により懐妊しその生んだ 「石」 は、伊奈婆の神の子でありました。 




  突然、聖書の話へと飛んでしまいますが、因幡社本縁起の五十瓊敷命の説話の祖形は、イサクとイシュマエルに繫がるのではなないかという気がしてきます。 イサクとイシュマエルは異母兄弟同士です。父親がアブラハムで、母親の腹違いの兄弟でした。イサクは、正統アブラハムの跡取り息子として、イスラエルの民の祖となります。イシュマエルは、母親ハガルと共に、荒野に逃れ、「弓を射るものの祖」となったと伝えられるのです。 ---その子孫は「野生のロバのような人となり、その手は、すべての人に逆らい、すべての人の手も彼に逆らう。彼はすべての兄弟に敵対して住もう。」---なぜか、高句麗を建国した朱蒙の伝承ともに重なり合います。朱蒙は、七歳にして百発百中、追われた生地を離れ、新しい国に高句麗を建てました。朱蒙の名は、「よく弓射む人」の意です。また、美濃には、「善く弓射む人」弟彦公の話が伝えられていました。
  イシュマエルは、アラブの民の祖となりました。世界の宗教戦争の根はここまで、遡ることができるというようにいわれております。平和な日本人には、なかなか興味の薄いことのようですが、世界ではこのようなユダヤとイスラムの怨恨がここに端を発するということは、知られた事実であると聞いています。


  このような過去のえぐりだしは、個人でも当然ありますが、民族間、国家観の間にも必ずあります。わたしたちは、このような事柄とは、無関係ではなく、なんらかの影響を相互に受けています。セラピーや、ヒーリングの手法が、おそらくこのようなことにも当てはまるであろうとおもわれます。つまり、表に出して、認めて、流す。このような過去にまつわるエピソードを何をこんなにも必死でくどくどと述べているのには、ひとつそうしたことが、挙げられると思います。ただ、表に出すことによって、このような呪縛からは開放されるでしょう。このような、呪縛は、誰しもが受けていることがらであるからです。このような対立は、二つの相克から生まれています。同じ血を分けた兄弟だったのです。同じ同胞(はらから)なのです。実は同じ、民族であったのです。同族です。イサクもイシュマエルも、アブラハムから出たのでした。いのちの源は、ただひとつです。わたしたちの根源をけして忘れないようにしたいものです。


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と、まじめな話をしたけど、

  1. 50, 五十
  2. 弓矢
  3. 双子

はみんなドゴン神話に繫がるモチーフらしい・・・
ということをは、シリウスの神話が
こんな身近に転がっていたということになる・・・・

http://blogs.yahoo.co.jp/sinagawa50/MYBLOG/yblog.html?fid=0&m=lc&sv=%B5%DD%CC%F0&sk=1

↑これすごい。
  「マル八」と書いた的を、四人の射手がそれぞれに射るとか・・・
by ultramal | 2006-07-28 22:38