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by うるとら

両面宿儺の伝承

 

 武儀郡武儀町下之保の高沢観音(真言宗日竜峯寺)は、奇妙な縁起伝説を今に伝えている。それは、同寺の開祖とされる飛騨の両面宿儺による悪竜退治、救民伝説である。「奇妙」とはこれとはまるで逆の『日本書紀』(以下、『紀』と略す)の記述があるからである。



「(宿儺)は皇命に従わず、人民から収奪して栄華にふけっている。よって・・・・・・宿儺を征伐した」(仁徳天皇紀)
 しかし、宿儺の本拠地飛騨丹生川の千光寺では今も宿儺は「御開尊様」と尊称されている。地元であるがゆえにそれは考えうることとしても、武儀の村入までが『紀』とはまるで逆の伝承によって宿灘を「両面様」と尊称しているのはなぜなのか。
 天皇を擁し、天船(あまぶね)で飛騨の位山に飛来し、即位式をあげたとの伝説も残した宿灘。その姿は奇怪である。「人身両面、手足四本、足関節とかかと欠損」と『紀』は記している。両面宿儺とは一体何者。なのか。
 私はこれを、古代中国の伝説に登場する鬼神「蚩尤 (しゆう)」の話が日本に伝えられ、その名を変えたものではないかと思っている。蚩尤の姿は「入身牛蹄(てい)にして四つ目六手」である。また、蚩尤 が虐政を行ったがゆえに黄帝(中国古代の伝説的皇帝)により征伐されたという伝説は、『紀』の宿儺征伐の内容と同一である。蚩尤 は大風雨と濃霧によって黄帝の軍を混乱させたという。宿儺が高沢山の悪竜を退治した時、大風雨が襲ったことが伝承されれている。そして宿儺が開山したと伝える飛騨の袈裟(けさ)山は"千光寺の霧の海"として著名である。
 ところで、蚩尤 は中国の山東半島にまつられてきた銅鉄の神でもあった。そして兵器の神でもあった。蚩尤 信仰は日本にも伝来され、兵主(ひょうず)神という名で各地にまつられている。兵主神は、水の信仰とも深くかかわった神ともいわれている。古代中国において、金属と兵器を象徴する神が蚩尤 であったとするなら、大陸から金属精錬の技術を伝来した入々の心のうちに、蚩尤 信仰が抱かれていたと考えることに無理はないだろう。
 両面宿簾の本拠地ほ飛騨の丹生川村である。この村名は明治以後のものだが、同村を西流する小八袈川はその源を乗鞍の北峰大丹生岳に発しており、その古名が万葉築にも歌われた丹生川であったとする説もあり、この地に丹生の地名が無縁であったとは思えない。
 ところで、紀侠の高野山は古くから丹生の地とよばれ、丹生川が流れている。
 また、千光寺は古来俗に「飛騨高野山」と別称されてきた。高沢観音もまた、真言密教の寺である。そして、飛騨丹生川と武儀は宿灘の縁で結ばれ、高野山と武儀は犬養人ムゲツ犬黒比を介して結びついていた。
 丹生が水銀の古語であることは既に述べた。高野山一帯は諸金属を産出する地でもあった。飛騨の大丹生岳のふもとにも鉱山(平金鉱山)が掘られていた。
 また、宿儺が飛来した泣山を御神体とする飛騨一宮水無(みなし)神社は、古くは千光寺と兄弟の関係にあり、社名ミナシの由来をミヌシ(水主)とする説が最も有カである。紀伊の丹生明神は水神であった。また、高沢観音の聖域は"みたらし"の泉である。岩窟にわくこの霊水は、眼病に効き、竜宮に通じていると寺伝は伝えている。そして水と特殊にかかわっていたムゲツ氏。これらのつながりは単なる偶然にすぎないのだろうか。
 紀伊と飛騨の丹生の地、そして武儀の三地点には、後世、真言密教に姿を変えた太古の人々の特殊な信仰、すなわち、宿儺と水と犬と金属を結ぶ何かが横たわっていた。私はそう思えてならないのである。
 話は転じるが、ここに興味深い学説がある。それは、壬申の乱における大海人皇子の挙兵が、中国の史書『史記』に記された漢の高祖の挙兵にならって行われたとする説である。漢の高担と大海人皇子の拳兵地名は、ともに湯沐邑(ゆのむら)であった。また、高祖は挙兵にあたり、黄帝と蚩尤 をまつり、軍旗は赤色の蚩尤旗を用いたという。大海軍の旗印も赤色であった。これを『紀』作者による後世の潤色とする説もある。しかし、この乱で活躍した身毛君広の本拠地が宿儺伝説(私説によれば蜜尤伝説)を伝える地であることを思うと興蛛は尽きないのである。










一つ目の伝説


 四つ目の次は一つ目である。妖(よう)怪一つ目小僧のルーツを初めて学問的に問うたのは、民俗学者柳田国男であった。
 谷川健一氏は柳田の業績を継承され、タタラ師(和鉄精錬の技術者)の証言をもとに、一つ目=「タタラ師職業病」説を提起された。タタラ師の最も重要な仕事は、炉中の火色を片目で見ながら燃料や砂鉄を調整することにある。強烈な火玉を見続けてきた片目は年とともに傷みついにはつぶれてしまう。
 金属精錬が日本に伝来されたころ、その技術や作業は余入にとって不可思議かつ神秘な事柄であったにちがいない。この作業で目を傷めた人々が神として崇拝されたことは容易に想像できることである。鍛冶神「天目一箇神(あまのまひとつのかみ)」は、文字どおり一つ目の神であった。しかし、文明の発達とともに、その技術がもはや特殊なものでなくなった時、神は妖怪へと没落したのであった。谷川氏は一つ目の伝説が残されているところには、金属精錬や鍛冶の遺跡、またはそれに関係する神社や伝承が残されている場台が多いことを、実例をあげ検証された(『青鍋の神の足跡』)。一つ目と金属は、切っても切れない関係にあったのである。
 そして、わが郷土中濃地力にも、一つ目伝説は残されていた。
 机田国男は、『一目小憎』のなかで、美濃加茂市太田の加茂祭主(あがたぬし)神社の祭神が一つ目であったとの伝承を紹介している。同社は、この地方の古代豪族カモ県主の神社であり、祭神の名は賀茂建角身爺(かもたけつぬみのみこと)である。同神は、天目一箇神と有縁の神である。また『美濃加茂市史』は、同市野笹には昔、片目が小さい入が多かったとの興妹深い伝承を紹介している。これに類する伝承は、この地だけには限られない。武儀町富之保にも、神や神が乗った白馬が(そら豆の枝や門松の松葉で目を突いたため、そら豆を作ったり、門松を立てることをしなくなったとの昔話が残されている。そして、中濃地方には、高沢観音の"みたらし"をはじめとして、服病に効く霊水の話が数多く残されているのである。






水と犬と鉄 尾関章著 古代の中濃とムゲツ氏 中日新聞本社より
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by ultramal | 2006-08-02 17:27 | 水 犬 鉄