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by うるとら

鹿島と香取

『祭りの古代史を歩く』より抜粋






香取神宮の主祭神が二つある理由
 さて、香取神宮の主祭神のもひとつの神名はイハヒヌシだった。藤原氏の氏神である奈良の春日神社の主祭神もイハヒヌシだ。前述した『日本書紀』などの正史や、『延喜式』の春日祝詞にも「香取坐伊波比主命」イハヒヌシとは藤原氏がつくった神名だが、じつはフツヌシと同じ神なのである。物部氏の氏神フツヌシは大和の石上神宮の祭神だが、おそらく藤原氏は自分たちの祀る神の名前を、物部氏の氏神フツヌシは大和の石神神宮の神官だが、おそらく藤原氏は自分たちの祀る神の名前を、物部氏の氏神の名前と同じにしたくなかったのだろう。
 それほど藤原(中臣)氏の権力は強大だった。藤原氏は斎部とともに宮廷祭祀をとりしきっていたが、藤原氏の横暴な仕打ちに怒った斎部広成は、大同ニ(八〇七)年に『古語拾遺』を書いた折、フツヌシの神を「今下総国香取、是也」と記し、藤原氏に抵抗した。これが香取神宮の主祭神に二つの神名が生まれた経緯なのだ。


鹿島神宮の主神もすげかえられていた
 さて、ここからは鹿島神宮と香取神宮の関係について考えていこう。いまの鹿島神宮の主神としてのタケミカヅチの役割は、本来はフツヌシのものだった。ここでもまた藤原氏はフツヌシを自分たちの神タケミカヅチにすげかえたのである。このことに加え、藤原氏が鹿島の地に大和国の春日の神を遷した七六〇年代は、折りしも蝦夷討伐の出発地、鹿島の神に武神タケミカヅチを捉える必要があったのだ。
 ここでもまた、斎部氏や物部氏は藤原氏に反旗をひるがえしている。『旧事本紀』の「陰陽本紀」は、武甕槌之男神亦の名建布都神。亦の名豊布都神。今常陸国の鹿嶋に坐す大神。即ち石上布都大神、是也」と記す。つまり物部氏は、鹿島の神は石上神宮の神フツヌシであることを主張しているのだ。
 藤原(中臣)はかねがね物部氏などの有力氏族が伝えてきた神話を天皇制神話に統一化することが、彼らの権力の確立と増強につながると考えていた。藤原氏が行った天皇制神話の統一化の第一ステップは、『日本書紀』などの正史の思想統一だった。彼らはそこで、鹿島の祭神をタケミカヅチ、香取の祭神をタケミカヅチ、香取の祭神をイハヒヌシとし、自分たちのために思想統一をはかった。いわば正史の捏造である。
 次の第二ステップは、天皇制神話の具体的実体として存在する天皇家の皇神・伊勢神宮の内宮と対の形を、鹿島・香取の社に組みこむだった。つまり鹿島神宮を内宮に、香取神宮を外宮の対の形を、鹿島・香取の社に組みこむことだった。つまり鹿島神宮を内宮に、香取神宮を外宮にである。

香取神宮の外官的性格
 香取神宮には、女盛あさめ←(「女」偏に「盛」の一文字)という女禁司がいた。これは伊勢神宮の外宮の豊受大神と同じ性格を持つ御炊屋(みかしきや)姫的存在の女禁司で、『延喜式』の内臓寮式に記された香取社の物忌(斎宮)ニ座
               
by ultramal | 2006-09-26 00:03