◎Ultraはウシトラのモジリ◎       


by うるとら

カテゴリ:ノート( 10 )

境界線

猿が投げた戸が出てきたらしい。
岩戸開きの戸だ。
友人がそう言って知らせてくれた。
戸は隠されていた・・・
戸は隠されていた・・・


以上は覚え書き。

また、機会があったらと、理解が進んだら、きちんと書きたいと思う。
これだけで意味がわかった方がおられたら、すばらしい!





今まで爆撃しても壊れなかったカベが崩壊したか!?




何か溶解しつつある
境界線がとれたとおもった。



そして最近、友人から、戸が開いたとの知らせを受けた。

爆撃しても消えなかった、境界線が消えつつある・・・なぜなら、戸が開いたからだ。 戸は10じゃないか!?なんだ、もう!! 10を開く。10を開ける・・・  十を開ける・・・

を開ける・・・



戸 を 開 け
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by ultramal | 2006-07-15 00:04 | ノート

最近どこに行っても蛇だ。


竹生島も蛇

出雲も蛇

三輪山も蛇

宮城の金華山も蛇の信仰があったという。


そこで思い出した。ミシャグチ神←諏訪


石神というのがある。

しゃくじん、とは"石神"のこと
上石神井の「しゃくじい」
「しゃもじ」もそう。 (竹生島にいっぱいあった。 白山置宮からも頂いてきた。)
オタマジャクシも同じ語源。

実は瓢箪も同じ象徴。


これは、縄文と思われているけど、おそらく運んできたもののような気がする。。

シュメールにつながっているという、それかも。

なんといえばいいのか。旧約、旧約よりもっと古いかな・・・

と思ったけど、ひとことでは簡単に終われそうにない複雑な祭祀形態かも・・・
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by ultramal | 2006-07-09 21:32 | ノート

佐太神在祭の伝承

佐太神社御由緒略記より

 (前略) 十一月二十日より二十五日までは神在祭である。これは十月を一般に神無月というが、出雲国だけは神在月と称している。現在十一月の祭礼は旧暦十月を陰暦に改めたものである。社伝によると、正中殿の御祭神は伊弉冉尊の神去りました旧暦十月に八百萬の神々が当社に参集されるので、幟も立てず、神楽もあげぬ厳粛な物忌みがなされるところからお忌祭とも云う。この祭には神迎え神事、注連口(シメクチ)神事、神等去出(カラサデ)神事、船出神事、止神(シワカミ)送り神事、柴刺神事、宿借神事等があるので、古来当社を「神在の社」とも云っている。またこの祭に必ず龍蛇の出現ということがある。佐太の龍蛇といえば広く人口に膾灸した奇瑞であって、火難、水難を始め一切の災厄を除去し、農作、商売、魚漁、の福祉(サチ)を守護する霊物として信仰されている。これが年毎時を変えず神在の浜すなわち佐陀の浦辺に現れ、当社に納められる。
古歌に
  出雲なる 神在月のしるしとて 龍蛇の上る 江積津の浜



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
-以下は、 『神去来』石塚 尊俊著より抜粋-



延宝六年(一六七八)刊行
僧の恵空 『徒然草参考』

ある神書を見侍りしに、出雲国秋鹿郡佐陀神社に神在祭といふ事あり。是をいかにといふに、社説にいはく、伊弉冊(冉)尊の功すでに成就してのち、神去り給ひぬ。御子素戔鳥命いとけなくおはしましければ、妣を喪し、給ふ事をふかくかなしび給ひて、此の地に来たり給へりしが、ここにおいて簸川之上に人を害する蛇ありときこしめして、かちよりゆきてこれを制す。それよりこのかた、星霜ひさしくへだたるといえども、毎歳の十月当社と御崎と、錦紋子蛇海上にうかび来たりて其のしるしをうしなはず。ことに伊弉冊尊はもろもろの神の尊妃なりしかば、当月一切の神祇ここにあつまりて孝行の義を存するなり。其の神の集し給ふをもちて神在の名ありといへり。
この故に其の余の国には妣の月を神無月と申す也。



『神道名目類聚抄』匹田以西
「加羅佐手神事」

出雲国秋鹿郡佐陀社にあり。十月に神事あり。社家伝来に云、当社は伊弉諾・伊弉冉二神の鎮座なり。是諸神の大祖の神にまします。十月は陰伊弉冉尊崩ますつきなれば、諸神此社に会集給。是故に当所に於いて当月を神在月と云。此神事に種々神異あり。就中十一日より十五日の間に、海上より子蛇一疋白浪に乗て浜辺に寄来る。是海神より佐陀社に献上物なりと云。其大さ一尺ばかり、金を以彩色が如く、其美麗なり。是を龍虵と云。神官等潔斎して、浜に出て其来るを待て、海藻を以手に受。龍虵来て其藻の上に曲居。則神前に備進。往古より今に至りて例年絶ず。誠に神異の事なり。是を加羅佐手の神事と云。

「一説に素戔嗚尊簸之川にて八岐大虵を退治し給し由意を後世に示の義と云」と記し、
また「素戔嗚尊大虵を断たまふ剣を、一には韓鋤之剣と云。加羅佐手とは其転語にや」と付記している。

と一般にいう「神等去出神事」のことを、 「加羅佐手神事」 と表記

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by ultramal | 2006-06-27 13:38 | ノート

加羅佐手神事
からさで
錦紋小蛇 日の御崎神社
徒然草参考
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by ultramal | 2006-06-27 10:23 | ノート

神去来
ざっとみたところ出雲の神集いとは大国とその妻神の生殖行為からは縁結び、また国生みから、護国五穀豊饒祈願、そこから塞の神だの、道祖神すなわち性神信仰にその本髄があるとみた。なぜ十一月なのかなぜ“出雲”に集ってそして神去るのかについてはかなり忌み深いものがあるようである。出雲成立の背景もあるのか
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by ultramal | 2006-06-26 10:17 | ノート

神武紀三十一年四月条

日本は浦安の国
細戈クシホコの千足る国
磯輪上シワカミの秀真国
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by ultramal | 2006-06-20 16:47 | ノート

■聖マイケルライン


○イギリスでは一九七六年に「聖マイケル・ライン」と呼ばれる最も有名なレイラインがみつかった。この線は五月一日"メーデー〝(西欧で自然が生産を開始する日)の太陽が上る方位そって引かれ、セント・マイケルズやグラストンベリーなど「聖マイケル」をまつる聖地をその線上に集中させていた。聖マイケルは太陽神アポロン、光の大天使ミカエルと同一の聖者であり、悪竜を退治する武力の英雄でもある。したがって、聖マイケル・ラインは冬を殺し、新しい生命を地上にもたらす生命エネルギーの道だったのだ。この太陽にまつわるラインがもっとも発見しやすいレイラインなのである。

○なかでも重要だった要素は、むろん太陽である。地上に生命を芽ぶかせる父の力。また太陽は闇に明かりをもたらしもする。そこで西洋では太陽の力をあらわすキャラクターとして「ミカエル」なる人名が登場した。ミカエルはキリスト教典に語られる大天使で、よりを着け武具をもった美しい青年として描かれる。罪のシンボルである竜を退治し、光を運ぶ。
 光を運ぶということは、太陽の道を意味する。太陽がいちばん力を得たとき、生命力は死にうち克つ。それが竜を殺す聖マイケルとなり、武具をもつミカエルをあらわしたかったからにちがいない。
 これに対して、月は大地からくるエネルギーを司る、これをイメージ化したのがマリアだ。地下からくる母のエネルギーはやさしく、また弱いので、地下に貯蔵庫バッテリーを築く必要がある。そのためにか、古墳の中には石で組まれた蛇状のバッテリーも造られた。これは見方によると迷路にも見える。迷路は内臓のイメージから発達したといわれるが、たぶんそのとおりだろう。地下エネルギーが迷路をゆっくりと循環し、しかも逃げ出せないようにした蓄積回路なのだから。このために多くの塚が造られ、内部が空洞にされた。これを外から見ると女性の乳房のようにみえる。
 こうしてレイライン沿いには、ときに、角を立てたピラミッドが、また、ときに乳房みたいない丸い塚がつくられようになった。大地に流れるエネルギーを強めるガソリン補給所のように!


○竜穴をつくるには、曲線の道が必要になる。その道こそが、ストゥークリーの発見した「大蛇の神殿サーペント・テンプル」だったと考えられないだろうか。とぐろを巻くドラゴン。そして槍を突く聖マイケル――そう、あの竜殺しのイメージさえ、本当は竜を殺すのなく、元来は天の気と地の気の交わりを象徴した姿だったと考えられる。たしかに、そう考えると、竜脈はかならず曲線をとり、直線になることをタブー視された風水説とも一致するではないか。




 『風水先生レイラインを行く 神聖地相学世界編―荒俣宏コレクション2
                                集英社文庫 荒俣 宏 (著)』
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by ultramal | 2006-04-13 11:14 | ノート

天日槍・天之日矛

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 もっとも天日槍の伝承は多様であって、その内容はけっして単純ではない。その詳細はすでに早く指摘したが(「古事記の伝来伝承」、『古事記』所収、社会思想社、一九七七年)、まず第一にその渡来の時期を『古事記』が応神天皇の代とするのに対して、『日本書紀』はそれをさかのぼる垂人天皇の代のできごととするちがいがある。
 さらに天日槍が倭国に渡ってくる事情について、『古事記』が描く阿加流比売を追慕して渡来するというエピソードは『日本書紀』になく、これに類似する伝承は、『日本書紀』垂人天皇二年是歳の条の「一云(イチニイワク)」に述べる、意富加羅国(大伽耶)の「王子」とする都怒我阿羅斯等が「北ッ海(日本海)」をめぐって敦賀に渡来する説話にある。
  赤玉や神石(白石)が乙女に変化する伝えも『古事記』の天之日矛伝承と『日本書紀』の都怒我阿羅斯等伝承とに共通している。日光に感精して懐妊する赤玉神女伝承は、『古事記』にはっきり記されているが、日光感精型あるいは赤玉神女型の神話は、古代朝鮮にかんする貴重な古典である『三国史記』などにみえるところであって、天之日矛(天日槍)と神女をめぐる伝承の直接のふるさとが朝鮮にあって、それが天日槍に象徴される渡来集団のなかではぐくまれていったことはほぼまちがいない。


天日槍の渡来コースには鉄の文化とのかかわりを物語る遺跡がかなりあって、天日槍集団の背景には鉄の文化と土木開発の技術があったと考えられる。

古事記が「天之日矛」、『日本書紀』や『風土記』・『新撰姓氏録』などが「天日槍」と書くのに対して、『古語拾遺』が「新羅の王子 海檜槍」と記しているのは興味深い。もともと「海語連」と表記していたのが、後に「天語連」と表記するようになってたごとく、海上ルートで新羅から渡来した「天日槍」の「天」も本来は、「海」であったかもしれない。

『天日槍と渡来人の足跡』海鳥社 〔 序――探訪・天日槍伝承(上田正昭)の頁より 〕
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 天之日矛には別名が多く、気比神宮の主祭神である「イササワケ命(気比大神)」のほか、近江の鏡神社の主祭神「天目一箇命」、御上神社の主祭神「天御影命」とも同一人物ともされているそうで、籠神社の伝承によると、この天御影命は天火明の別名であるともいいます。現在の籠神社の主祭神は、天火明命とされているそうですが、天火明には別名が多く、正式には天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命というのだそうです。 現在籠神社では、この御神名を分解して、天照が天照大神、国照彦は猿田彦、櫛甕玉は大物主=大国主命(=大己貴命、八千矛神)、饒速日命がそれぞれ別な神々として独立して祀っておりますが、本来はもともと「天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命」という一つの名が表すように、同一神であったようであります。
 また、籠神社の極秘伝として天火明命の別名には加茂別雷神や丹波道主などが伝えられているそうですが、そのなかでも重要とされたのが「彦火火出見尊(ホホデミ命)」で、ホホデミ命といえば、記紀には天照大神の孫、火遠理命として登場し海幸山幸彦神話として知られております。実は神武天皇の名前の中に「神日本磐余彦火火出見尊(記紀)」と"ホホデミ"という名前を持っていたのだ!!という驚きの報告がされておりました。(「以上月間ムー」2004年1月号 No.278参考)

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by ultramal | 2006-04-06 12:35 | ノート

アマテラス

 
 神話によれば太古のあるときに、太陽女神のアマテラス大御神が弟神のスサノヲの命が天上でしたひどい乱暴にがまんができなくなって、岩屋に入り中から戸を固く閉めて、隠れてしまった。そのために陽光に照らされなくなった世界は常闇に鎖され、『古事記』に、「ここに万の神は、さ蝿なす満ち、万の妖悉に発りき」と言われているような、ひどい混乱状態に陥った。

 そこで困却した八百万の天神たちは、天の安の河という天上を流れる河原に集まって相談をし、オモヒカネが考案した計画に従って、岩屋の戸の前でアマテラスを招き出すために、祭典の嚆矢となる祭りを挙行した。
 
 その祭りで天神たちは、天上の天の香山から根こそぎにして来た賢木に、勾玉の飾りと鏡を掛け、その下に楮と麻でそれぞれ作った白と青の和幣を垂らした。そしてその賢木をフトダマの命という神が捧げ持ち、その横でアメノコヤネという命という神が、厳かに祝詞を唱え、アメノタヂカラヲとい怪力の神が、岩屋の戸の脇に隠れて立った。それからアメノウズメの命という美しい女神がささの葉を束ねたものを手に持ち、伏せた桶を踏みならして踊りながら、乳房と陰部を剥き出して見せて、天神たちを、天上の神々の世界をの高天原が鳴り響くほど、どっと哄笑させた。 
 
 それでその物音を聞いていぶかしく思ったアマテラスが、岩屋の中から戸を細目に開け、「自分が隠れているので、天上も真暗闇になっている筈なのに、なぜアメノウズメは楽しそうに踊り、八百万の天神たちはみな笑っているのか」と尋ねた。そうするとアメノウズメはアマテラスに「あなた様よりもいっそう貴い神が、ここにいらっしゃるので、そのことを喜んで、笑ったり踊ったりしているのです」と答え、そのあいだにアメノコヤネとフトダマが賢木に掛けた鏡を差し出して、アマテラスに見せた。そうするとアマテラスは岩屋の外のその鏡に映った、今のアメノウズメの言葉の通りに、まさにこの上なく尊く見える自分自身の姿を目にしてますます不審に思い、もっと、よく見ようとして、岩屋から少し出て来かかったので、すがさずタヂカラヲがそのアマテラスの手を取って岩屋の外にすっかり引き出した。そしてその後方にフトダマが注連縄を張って、アマテラスに、「ここから内にお戻りになることはできません」と言った。それで天上と地上はまた再び、太陽の光で明るく照らされることになったのだと言う。



『太陽と神話と祭り』 吉田 敦彦 著  (第4章 天の岩屋戸神話を表す祭り より) 
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by ultramal | 2006-03-22 23:21 | ノート

星と祭

氷上は火神だよって夢の中で誰かに教えていた。

おひかみさん!?
氷上姉子神社のことだろう。

何を言ってんだろう
ゆめの中まで・・・


火高

ひだかみ
日高見

飛騨は、
日抱きの宮の「日抱」が由来とは安吾の説

「日抱きの御魂鎮め」という神事
山中の池の周りを村人たちが囲んで、水面に写る太陽や月を瞑想したもののようだ。明治頃までこの習俗は残っていたそうで、今も丹生川村にはたくさんの日抱の宮が点在している....


井上靖の「星と祭」も琵琶湖だったけど、湖面に月と十一面観音を瞑想する似たような題材の記憶がある。。

more・・・
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by ultramal | 2006-03-01 21:39 | ノート