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by うるとら

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関の弥勒寺東遺跡

今日の新聞に関市弥勒寺のことが出ていたのでクリップ

【中濃】 関の弥勒寺東遺跡、国史跡申請へ 地元住民にさまざまな思い


弥勒寺はミロクの方角の線上に位置する一つのお寺。
関市池尻の弥勒寺と、奈良の斑鳩の池尻にある法起寺(本尊ミロク仏)を線で結ぶと、ミロクの方角が現れるとのこと。






▼ミロクの方角
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by ultramal | 2006-06-30 13:08 | 水 犬 鉄

佐太神在祭の伝承

佐太神社御由緒略記より

 (前略) 十一月二十日より二十五日までは神在祭である。これは十月を一般に神無月というが、出雲国だけは神在月と称している。現在十一月の祭礼は旧暦十月を陰暦に改めたものである。社伝によると、正中殿の御祭神は伊弉冉尊の神去りました旧暦十月に八百萬の神々が当社に参集されるので、幟も立てず、神楽もあげぬ厳粛な物忌みがなされるところからお忌祭とも云う。この祭には神迎え神事、注連口(シメクチ)神事、神等去出(カラサデ)神事、船出神事、止神(シワカミ)送り神事、柴刺神事、宿借神事等があるので、古来当社を「神在の社」とも云っている。またこの祭に必ず龍蛇の出現ということがある。佐太の龍蛇といえば広く人口に膾灸した奇瑞であって、火難、水難を始め一切の災厄を除去し、農作、商売、魚漁、の福祉(サチ)を守護する霊物として信仰されている。これが年毎時を変えず神在の浜すなわち佐陀の浦辺に現れ、当社に納められる。
古歌に
  出雲なる 神在月のしるしとて 龍蛇の上る 江積津の浜



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
-以下は、 『神去来』石塚 尊俊著より抜粋-



延宝六年(一六七八)刊行
僧の恵空 『徒然草参考』

ある神書を見侍りしに、出雲国秋鹿郡佐陀神社に神在祭といふ事あり。是をいかにといふに、社説にいはく、伊弉冊(冉)尊の功すでに成就してのち、神去り給ひぬ。御子素戔鳥命いとけなくおはしましければ、妣を喪し、給ふ事をふかくかなしび給ひて、此の地に来たり給へりしが、ここにおいて簸川之上に人を害する蛇ありときこしめして、かちよりゆきてこれを制す。それよりこのかた、星霜ひさしくへだたるといえども、毎歳の十月当社と御崎と、錦紋子蛇海上にうかび来たりて其のしるしをうしなはず。ことに伊弉冊尊はもろもろの神の尊妃なりしかば、当月一切の神祇ここにあつまりて孝行の義を存するなり。其の神の集し給ふをもちて神在の名ありといへり。
この故に其の余の国には妣の月を神無月と申す也。



『神道名目類聚抄』匹田以西
「加羅佐手神事」

出雲国秋鹿郡佐陀社にあり。十月に神事あり。社家伝来に云、当社は伊弉諾・伊弉冉二神の鎮座なり。是諸神の大祖の神にまします。十月は陰伊弉冉尊崩ますつきなれば、諸神此社に会集給。是故に当所に於いて当月を神在月と云。此神事に種々神異あり。就中十一日より十五日の間に、海上より子蛇一疋白浪に乗て浜辺に寄来る。是海神より佐陀社に献上物なりと云。其大さ一尺ばかり、金を以彩色が如く、其美麗なり。是を龍虵と云。神官等潔斎して、浜に出て其来るを待て、海藻を以手に受。龍虵来て其藻の上に曲居。則神前に備進。往古より今に至りて例年絶ず。誠に神異の事なり。是を加羅佐手の神事と云。

「一説に素戔嗚尊簸之川にて八岐大虵を退治し給し由意を後世に示の義と云」と記し、
また「素戔嗚尊大虵を断たまふ剣を、一には韓鋤之剣と云。加羅佐手とは其転語にや」と付記している。

と一般にいう「神等去出神事」のことを、 「加羅佐手神事」 と表記

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by ultramal | 2006-06-27 13:38 | ノート

加羅佐手神事
からさで
錦紋小蛇 日の御崎神社
徒然草参考
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by ultramal | 2006-06-27 10:23 | ノート

神去来
ざっとみたところ出雲の神集いとは大国とその妻神の生殖行為からは縁結び、また国生みから、護国五穀豊饒祈願、そこから塞の神だの、道祖神すなわち性神信仰にその本髄があるとみた。なぜ十一月なのかなぜ“出雲”に集ってそして神去るのかについてはかなり忌み深いものがあるようである。出雲成立の背景もあるのか
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by ultramal | 2006-06-26 10:17 | ノート

不死

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ボストン美術館所蔵“肉筆浮世絵展”「江戸の誘惑」
 6月17~8月27日


じゃ~ん。
雑誌に載ってた北斎の絵。カッコイイ~☆


富士山の名前の由来がいろいろいわれてたけど、いまいちピンとこなかった。
「富士山はなぜフジサンか」谷信二著 など。

東に蓬莱国を知らせよ(始皇帝)
富士
不死
不死鳥
フェニックス!!



*富士山 名前の由来
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by ultramal | 2006-06-22 21:24 | 日記

神武紀三十一年四月条

日本は浦安の国
細戈クシホコの千足る国
磯輪上シワカミの秀真国
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by ultramal | 2006-06-20 16:47 | ノート

錬金術

『一つ目小僧と瓢箪 性と犠牲のフォークロア』 飯島吉晴著 より



錬金術は通常卑金属を黄金に変えることを目的としたもの  卑金属(容易に参加する金属⇔貴金属)

科学の前進

あらゆる心理や宗教の本質をなす



「すべての事物をあらゆる場所で永遠に完成させること」をめざす

「自然や生命や死や、永遠や無限のもっとも深い秘密を解明する」

(スタニスラス・クロソウスキー・デラ・ロラ『錬金術』種村季弘訳、平凡社、一九七八年)




錬金術で重んずる黄金とは、不変で完全で祝福された状態の魂のシンボルであり、黄金の獲得を目指すことは同時に悟りの境地のように意識が根源的に変革されて高次の認識水準に達することをも意味した。

「金」は新しく生まれ変わった再生の象徴ともされた

タタラの仕事は、世界創造神話の反復とみしうる面がありますから、もののはじまりや蘇りということにはとくに敏感なのです。


「賢者の石」
卑金属から黄金に変える赤くて重い石

液化すると延命長寿の霊薬となり

あらゆる病気に効く万能薬

暗号、謎、難解な秘密のテキスト 秘密の保持
錬金術の知識は破壊的な力があるのと、自己犠牲なくしてはそうそう簡単には秘術には近づかせないため


レビス(石)
頭が二つで体が一つの両性具有者

両者の結婚=結合

黒 不敗の段階で、結合の後の死  (死体、髑髏、カラス)

白 甦り (白鳥) 肉体と魂との合体による復活の段階 → 銀

  火によって加熱

赤 灰の中から蘇生する「不死鳥」 ペリカン
   (「哲学の卵」の中に閉じ込められた戴冠した若い王) ?

  赤い「賢者の石」が生まれる ←卑金属を黄金に変え、霊薬や万能薬


  赤い石は、溶けた金と混ぜる

  
    「賢者の石」が完成する


賢者の石を持つ者は、姿を消したり空を飛んだり、あらゆる不思議な力を得る




秘教(ヘルメス)的錬金術
 錬金術師がめざした黄金は金属(物質)ではなく
 魂の浄化を象徴した霊的黄金である意識の至高状態をいう

錬金術師は自然になりかわって自然の作業を成就し、卑金属を黄金に変成させて自然を完全なもとし、時間にとってかわる





修験道 永遠の生命の探求をめさした煉丹術(錬金術)と同じ 若尾五雄

金を採集するための苦難が、
苦難そのものが、目的のようになり変形している
本来は、修験の服装や持ち物も、前人未踏の地に金や水銀を探すためのものだった



真っ赤に溶けた液状の金属
(金山彦神はこのたぎる金属から生まれたのであるが、
古事記ではこれを「吐り」と称している)

強烈な自然の力に触れる―社会的に危険視
タタラ師はどんな物質にも属さない、金属の塊に触れる





錬金術の図像
 ウロボロス われとわが尾を噛んだ図像
   「無限にして永遠なる一者」

自我の自立=龍を退治する英雄神話(エーリッヒ・イーマン)


頭と尾の結びつき――常陸の鹿島沖

龍蛇は頭と尾が結びつき一つの輪となって日本を取り囲んでいる「伊勢暦」

鹿島大神(建御雷神)が押さえている要石==頭と尾の結びつき


中沢新一



『一つ目小僧と瓢箪 性と犠牲のフォークロア』 飯島吉晴著 より
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by ultramal | 2006-06-18 17:56 | 瓢箪/蔵王権現

タタラ


『一つ目小僧と瓢箪 性と犠牲のフォークロア』 飯島吉晴著 より



金剛蔵王権現も仏教には存在せず
埋蔵された金属を支配する王の意味ではないかとされています


蔵王権現とともに本尊
の不動明王
大日如来のやつした姿
極めて両議的な神

片目を薄く閉じた日月眼でこの世と冥界を二つの世界を見通している

降魔の剣には倶利加羅龍
餅を的に射ると白い鳥となって「飛びかけりて山の峯に居るり  伊禰奈利いねなり 生ひき」

風=犬


片目魚伝説
犠牲をささげる→秩序を新たに固める

盲目 片目 片手
媒介者




タタラでは正に直接結びつくものは嫌いますが死や死骸はかえって鉄が湧くき金が生まれるもとになるといって喜ぶ つまり、タタラは死から生を錬成し生み出す特別な場なのです。熊野修験は死の宗教ともいわれ鉱山や金属とも関係深いのですが、『沙石集』には熊野修験が死ぬことを「金になる」と言っている説話が掲載されている
菅江真澄『筆のまにまに』

死から再生
死から穢れなど否定的なものが火によって光り輝く高貴なものへと変換されるところに金属精練の重要な点があるのです 


『一つ目小僧と瓢箪 性と犠牲のフォークロア』 飯島吉晴著 より
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by ultramal | 2006-06-17 21:34 | 瓢箪/蔵王権現

瓢箪ダヴィンチコード説

『一つ目小僧と瓢箪 性と犠牲のフォークロア』 飯島吉晴著 より



鉄は戦前までは、「鐵」と表記 → 「金の王なる哉」を意味する



性の神としてただちに思い浮かぶもの 斉藤晶三

いしがみ しゃくじん しゃくじ しゃぐじ おしゃもじさま 妻の神 さえの神 くなどの神 道祖神 道六神 ちまたの神 ふなどの神  石尊 ラセキ(裸石) 金精 金勢 金山彦神社 金山神社 石根 男石 屁の子 地蔵 うば神 阿麻羅さま 男法王宮 傘地蔵 猿田彦神社 弓削明神 道鏡さま 船玉大明神 塩釜明神 塩土翁 縁結び神 精大明神 庚申 鬼神さま 興玉の神 和合神 白髯明神 太田の命 青面金剛 鉄開明神 気神(いきのかみ) 気長明神 大開観音 女石さま おひじりさま 陰茎明神 おっひとさま 大物神社 お客権現 やまのこさま しょうぜんさま お駒さま 祇園明神 めをと神社 聖天宮 天地神 (斉藤晶三 「性的祭神異名抄」 『郷土趣味』十二号、一九一九年 三一頁)


斉藤晶三 『性的神の三千年』(三徳社、一九二一年)

道祖神、岐神、塞の神、猿田彦、石神、陰陽石、須佐之男命、諸神、雑神、仏名神、外神の十一に分類して多くの神を分類している


性の神

聖と穢、内と外、男と女、豊穣と不毛、祓う者と祓われる者、善心と悪心
異なる二つの原理がしばしば同居

性の神は、大宇宙(自然)の過剰な生命力と直接結びついている。


トリックスター猿田彦

二月と十月の初申の日を「猿の口開け」、「猿の口留め」と言い、猿は季節交替と深いつながりをもつ。

猿は異界とこの世を媒介するもの

猿、馬(駒)、犬(狗)→境界やこの世を繋ぐ媒介者


本来境界石(男根形)であるヘルムと二つ相反する原理の間を自由に動き回るヘルメス神とが結びつけられたことは興味深い。ヘルメスは、交易や市、盗人や旅人の守護人として、対立するものを結びつけるトリックスターである。

道祖神も同じ。


一般に農民の場合は、大地に播種し耕して作物を育て収穫するという生産プロセスをとるため、男女の性行為やそれを模倣した行為によって作物の豊穣をもたらそうとすることが多い。これは、男女両原理の統合という大宇宙(自然)の原理を、自分たちの住む小宇宙の作物に及ぼし豊穣をまねくために、コントロールした形で男女混合を行い、自然の力を導入しようとしたものと考えられる。一方、山や海といった一種の異界を主たる仕事の場とし、そこから狩や漁という形で獲物(獣や魚)を得る狩猟者や漁民の場合は、農民とは異なった豊穣祈願の儀礼を行う可能性が高いといえる。山民や漁民は、山の神や海の神という女神に対して、男根やその形のものを呈示したり奉納することで、異界の生命力=豊穣を招こうとするのである。





鹿

鹿島や男鹿

地の果てや先端 境界領域をあらわす

瓢鮎図 瓢箪鯰 鯰絵

瓢箪で鯰(水神)をおさえる構図







鯰はトリックスター

地震をひき起こすもの
世界の更新者、富や幸運をもたらすもの

蛇(竜蛇)との同一化、雷や小童(英雄)

鯰は石から生まれる

鯰自体が石→杓子

にもかかわらず、地震の守護人

『鰻絵――民族創造力の世界』小松和彦中沢新一他訳、セリカ書房、一九七九年、三四〇頁)


鰻だけでなく瓢箪も石と同様に両義性や、境界性を有している。

鰻も瓢箪も、水界の存在として極めて近い関係にある

瓢箪 ウツボ性


夕顔、瓜、朝顔などの蔓性植物がよく天まで伸びていくと語られている
ジャックと豆の木?
瓢箪=天と地をつなぐもの

瓜―水

「瓠葛の天の梯建」(「続日本後紀」)
瓠の葛は天へのぼる梯子とみられたり、瓠は天空との結びつきは深かった
(「ひさご」『谷川健一著作集』四巻、三一書房、一九八一年、二六八頁)。瓢箪
中国、朝鮮などの神話に多い


「盤古」鶏卵の中で成長してその殻を破り出たが、上の殻は天空になり下の殻は大地になった

「盤瓠」犬祖神話
八犬伝

伏羲と女媧 洪水神話 
瓢箪にもぐりこんで助かる


瓢箪は人類を生み出す卵

「植物的な卵」 「容器」

瓢箪に収めるものは、生み出す力に永遠性をもたらすものこそふさわしい

不老不死の霊薬たる金丹


瓢箪は中国では、伝統的に薬屋の看板

日本 養老の滝「生命の水」である酒の容器

瓢箪は永遠の生命を象徴するもの

壺中天(壺=瓠)

ひょうたんは、冥界に属するか、冥界とこの世の境界にあるもの
いったん呑み込まれた人や動物は死の世界に入るのであるが、
そこから出てくるときは、再生したことになる
井本英一 『輪廻の話』 法政大学出版局、一九八九年、五五頁



瓢箪は天まで伸びてゆくものとされ、またその特異なかたちや性質から龍蛇や水神とも結びつけられた。さらに瓢箪は不老不死や永遠性を象徴したり、対立物の合一した完全無欠の宇宙を表象するものとされてきた。

瓢箪はウツロ性を一つの特徴としているが、これは一面ではからっぽで実体のないものということである。ふだんはまたっく意識することはないが、空気や風は単に空虚なものでなく、世界に遍満しているのである。虚空蔵菩薩が「大満」とか「福満」を前につけて呼ばれていることにある意味で類似している。瓢箪は、目にははっきりと見えないが、全世界に満ちているものを象徴しているのである。あるいはそれはすべてのものを生み出す宇宙そのものなのである。
 このような途方もないものをさりげない形で瓢箪は表象している。瓢箪をめぐるフォークロアには、いわば、これまで人々が世界や宇宙をめぐって長い間思索し感じ確かめてきたことがすべて込められているのである。これが瓢箪の魅力の核心をなしているのであろう。





『一つ目小僧と瓢箪 性と犠牲のフォークロア』 飯島吉晴著 より
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by ultramal | 2006-06-16 21:20 | 瓢箪/蔵王権現
http://noos.cocolog-nifty.com/cavesyndrome/

おもしろい。


「新羅の金冠」で立ち寄ったんだけど。(この金冠きれいすぎる)
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by ultramal | 2006-06-13 18:24 | 遠敷